最近仕事をしていてよく思うことを今日は書きたいと思う。
私が仕事を始めたのは22歳の頃だ。
その当時若いものは頑張れると言ったり、やることを楽しくなってきたので仕事が楽しいと思えていた。
仕事を覚えて早く一人前になりたいという意欲が自分を駆り立てていた。
夜遅くまで仕事をすることも「自分の為だ」と思い、スキルアップのために…みんなのために頑張ろう。そういったことを常に考えていた。
最近の子たちはパソコンも堪能なことから、50歳代の人よりも早く事務作業をこなすこともできる。
何せ吸収率が良い。
そして、できるようになることが楽しいし、信頼になっていくことが楽しい時期が来る。
コンテンツ、目次
仕事も三年間はやってみると楽しいときがある。
仕事は3年目からが楽しい。
1年目はあたふたあたふたやる。
2年目はそれなりにある。
3年目は自分のやりたいようにある程度デザインしてやることができる。
だから3年目というのは一瞬面白い感覚がある。
5年目、6年目も余裕が出てきてさらなるデザインをすることができる。
そこで思うことがあるのである。
違う職場でもう一回やってみよう。
違うことを学んでみたい。
そして私は新しい職場と籍を移す希望を出し、うまいことそれに乗ることができ異動が叶った。
新しい職場でのストレス。なんだこの感じは
そこではかなりの大きなストレスがかかるのである。
私はこれまでそのストレスが何なのかを最初は理解できていなかった。
まずは職場の人間関係の違いが難しい。
2、 3年同じ職場にいれば、もともと30人いた職場であれば毎年5人が入れ替わるなどといった25人いる大勢の方にいることができる。
しかし、自分が異動するとなると大勢対自分となり、30人の顔と名前を覚えなければならない。
しかも、その人がどんな人かを理解するのも何気にストレスがある。
しかもそれは全員知らない人。
知らない人だからこそ、優しくしてくれることもあるのだが、その経験が少ないとやはり久々の体験でストレスがきてしまう。
気を遣って本音を話せない辛い状況がある。
さらにお客の質もある。
地域によってはお客さんはこういった人が多いよ。と職場の人に言われることがある。
都会で暮らしている人と、地域にずっと根付いている人。都会を知ってから来た人。年齢層で人の質が大きく変わる。
そういった慣習や風習を理解するまでに時間がかかる。
そしてそこ(地域や会社)のやり方というものも学んでいかなければならない。
暗黙の了解やルールを理解することも社会では大事だ。
体系化された会社であればそんな風には思わないのであろうが、なかなかそうもいかない。
異文化の知識や知恵を導入することが仕事にとって大事なのはわかるが、あまりに最初の段階ではかなかいい案を提案するのは難しいものである。
今まで培った1つ武器を持っているとは言え、それをアピールする場所がなければただの大勢の1人の平社員に過ぎない。
そこに自分の存在感を見せつけるのはなかなか難しいであろう。
日本の文化にはまだまだ残業時間を気にするという文化が少ない。
話は少し変わるが、新しい職場だからこそ気付く就業時間を気にするかどうかの違いも語っておきたい。
私は妻も一緒に働いている共働きStyleでお仕事をして10年近くなる。
そうすると若い頃と明らかに違う体力の衰えを感じてくるものである。
そこで若い頃と同じような戦い方をしていては体が持たなくなってくるのも当然であろう。
さらに夫婦になり、子供ができるなど生活体系や家庭体系も変わってくる。
そして経験を積み、新しい職場の無駄な部分が見えてきたりする。
「今までやってきた通りのことをやればいい。」
そういった考えの人と、
「もう少し効率的にやろう、機械をもっと使おう、初期投資をしよう、」
そういった考えが2分される。
混在しているのは構わないが、これをうまいこと調和するのは難しい。
こういった環境の中で、本来落ち着くはずの家庭で何が起きるか
仕事のストレスというのは恐ろしいもので、家に帰ってきてまで仕事の愚痴を言う。
愚痴を聞かされたところで楽しいと思うものはない。
そういった人を馬鹿にしているときは楽しいかもしれないが、子供にとってそれは悪影響になる。
もちろん子供自身も親の人を馬鹿にする態度や会社の愚痴を言うのが当然だというのがそのまま映し出されていく。
そういう風に育つのは目に見えている。
だからこそ私は思う。
残業せず定時で帰り、家庭に注げる体力をしっかり残すこと。
この感覚を持っていないと幸せな家庭生活を送れないのだ。
日本人はどちらかというと頑張ることで、存在感ややりがいを感じたりしてしまう。
しかし、それは大きな間違いだと私は思う。
仕事を頑張ることによって名声も得ることができるであろう。
給料ももちろん上がっていくであろう。
しかし、本当の楽しさというのは休みの時間にいくら自分がゆっくりできる日を堪能するかである。
皆さんがよく誤解してしまうのは、仕事が好きで、仕事をすることがやりがいのある人間が正しいという考えである。
上に上がる人というのは、話が面白くない人はたくさんいる。
少数には楽しい人ももちろん存在するんであるが、その人は仕事しかしないのである。
面白い人間かと言えばそれはそうではないと思う。
仕事ができるだけなのだ。
確かにお金を持っている。
なぜか?
遊び方を知らないから、金をかけられないのだ。
金をかけて遊ぶという楽しさを知らないおっちゃんは楽しいのだろうか。
そして、身も心も仕事ですり減らされると何が起こるか。
自分では気づかないうちにメンタルがやられていたりする。
そして、若い時代にやっておけばよかった「楽しい経験」を積むことができない。
歳を取ってからだと体を動かしたり、外に行くという楽しさを肉体的な疲れから面白いと感じることができない。
だからこそ、若いうちにある程度楽しいことを覚えるべきだ。
仕事を頑張ることによって得られるものというのは実は意外に少ない。
どちらかというと、継続的にコツコツ自分の目標を余裕を持ってやっている方が大成していく。
そういった人がいる方が会社としても重宝したりする。
いつまでも「仕事だ仕事だ」と言っている人をみんなは、ロールモデルにはしないであろう。
特に会社に帰ってやりがいと給料を変換しながら生活するのはあるところで、気持ちが切れる時がくるだろう。
歳をある程度取り、お金があったところで、どうにもならないということに気づく。
本当の幸せは
いろんな人と関わり、無駄の生活を楽しむことが人間の本質だと気づくのである。
自分の会社はブラックだから… そんなこと言ってる場合じゃないぞ
自分の会社はブラックだ。
そう言って帰ってくる人を見ると、この状態は非常にまずいと思う。
慢性化して会社の文句を言い続けることが体に良いはずがない。
そしてそのような状況で働いてるその人にとっても良くない。
その人は周りにストレスを吐露し、頑張っている主張はするが、友達をなくすのは目に見えてしまうのである。
その状況を打破するには、ある程度の仕事量に減らすということも大事だ。
私は、正社員ということが正しいとは思わなくなってきている。
正社員であれば社会保険料等の保証もしっかりされているし、安定的にお金はある程度入ってくる。
しかし、それが働き方の本当に正しいことなのかはわからない。
正解はないが仕事量を減らすためにあえて違う仕事をするのも1つの手かもしれない。
もう仕事でも大変だ。そういう人が多くいる。それはわかっている。
しかし、ある程度の作業量で止めること大事である。
作業量多めだから金がもらえる。だからやってる。そんな方法じゃなくてもあるじゃん
実は言うとお金なんかなくても、お金のある人のおじいさんやおばあさんどこに行けばお金をもらえたりする。
若い子達は「お金をもらう」という概念がないのかもしれませんが、お金を持ってる人はもう使い道がないのである。
そういった人が多くいるこの日本の賃金制度をもう少し理解したほうがいい。
年功序列と言っているのだから、余生を楽しむためにお金を持ってる人多くいるのである。
ただそういったのはもちろんであるが表舞台には出てこない。
どちらかというと社会保険補償のために生活保護受給などの年金制度などそういったところだけがメディアで取り上げられることが多い。
ワーワー言ってる人が取り上げるに決まっている。
後は健康的な人間関係を築ける能力が高ければ、わりかしお金に苦労することはないのである。
遊び代はお金の持ってる人のとこに行けばいい。
そこで楽しめる話術を磨けば別に問題ない。
結局のところ
新しいことに挑戦することが苦手な人は、安定を求めてしまい、泥沼に入ることが多い。
人間は結構潜在能力があるのにも関わらず、それにフタをしてしまうことが多い。
いろんな知識やスキルを得る力はあるのにやろうとしない。
少し頑張ろうと思えば結果なんてついてくるものだ。
それは運動にしても、最初が大変だけど時間が経てば上手くなることなど、小中学生の時に教わったのではないだろうか。
だからこそ、私は新しい生活スタイルや職業の働き方をどんどん開拓していくべきだと思う。
企業が良いとは言わないが、新しい仕事についてみる、外資系企業のようなスキルを持ってどんどん変わっていくという考え方も少なからずあっても良いのではないかと思う。
変わることを恐れちゃいけない。
私はそう思い、いろいろ今も仕事を手伝わしてもらっている。
それも別の友達の仕事だ。
なんでもトライアンドエラー
が私の最近の口癖だ。
今の環境を変えながら、働き方を再考してもいいのではないだろうか?
最後までお読みいただきありがとうございました。