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世の中 教育

いじめ問題を考える 不良の背景と頑張らないやつが悪い

投稿日:2017-05-25 更新日:

最近とりだたされるいじめ問題について少し取り上げてみたいと思う。

言ったもん勝ちのいじめの対応には正直困っている。

「私はいじめられました」と言えば、いじめが成立になる世の中になってきました。

アンケートで毎回調査される。それがいいことなのか悪いことなのか

アンケートに

いじめられた や いじめられたのを見た と書けば 学校では生徒を呼び出すことになるのである。

いつ頃、誰が、どのように 細かいことを事実確認と称して聞いていくのが今の学校の現実だ。

  • 消しゴムを取られているのを見て、嫌そうに見えました。
  • 少し会話の中から外されているようでした。

そんなことで、生徒の価値観でいじめと判断され、教員はそれは調べていかなければならないとか、それは違うよね?と諭していくなど昔では考えられないことをやっている。

いじめ調査として、毎月いじめアンケートを行うところもある。

実際に、何度かやっているとアンケートに書くとめんどくさいことになるから書かない方がマシだと生徒の中で出来上がっていくという風に考えられる。

 

いじめの定義

個々の行為が「いじめ」に当たるか否かの判断は、表面的・形式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行うものとする。

「いじめ」とは、「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。」
とする。なお、起こった場所は学校の内外を問わない。

いじめって昔はどのよう扱いだったのか

いじめの定義の変遷

どのような状況でおこるのか

家庭環境の悪さ

いじめる人というのは基本的には家庭環境が悪い人が非常に多い。

 

片親だったり、時間をかけて上げることができないこともある。

 

そういった子は褒められる機会もなく、頑張って何かが良くなる経験に乏しくなってしまう。

 

学力面も同様で、手をかけられないと子どもにとって知的・興味・関心がそもそも湧かなくなってしまう。

地域的にも親が朝早くに仕事に出ていき、子どもはほったらかしで、登校時間になったら学校へ行く。

家に帰ってくると父親はお酒を飲んで横になっている。こういった状況の中で子どもは一体何を学べばいいといいうのか…

授業は座っていることができない

そもそも「座って何かをしろ」ということですら教育の中で培われていくものである。

座ることすらできない人になってしまっては手遅れ感がある。学ぶということが何かわかっていない人には授業は苦痛でしかない。

我慢することを覚えさせられてない子どもは授業中に、「好きなことをしてもいい」という発想になってしまう。

不良を作っていく

多くの生徒は授業は我慢してでも、「将来に必要そうだから聞いておこう。周りの邪魔になったら悪いから静かにしておくこと」が大切だと考えていく。

しかし、座っていられない子達にとっては、上記の考え方にたどり着いていかない。

こういった状況が悪化していくと、本人がわからないうちに「なぜかわからないが、周りから注目されなくなっていき、冷たい目で見られることが多くなる。」状況が生まれる。

そうすると、勉強ができない子にとっては、人から注目されるための簡単な方法、「みんなが迷惑になる行動」を選択する。

他にもルールを守らないなどの反社会的行動を覚えていく。

もう一度注目を浴びることができる。 そういった思いが強いのだろう

それが一種の快感になり、そこからはもう戻ることができなくなっていく。

一生懸命頑張っている人たちとも距離を置かれていくのを感じると、同じような境遇で、気持ちの弱い人と繋がっていくしかないのである。

そして、最後は暴力につながっていき、通称「不良・ヤンキー」といわれるものが完成する。

 

いじめをされる理由を考えよう

それではいじめは何が悪いのかというところを整理していこうと思う。

「いじめるやつは悪くない」とお話しする人がいる。

それは「背景的なことを問題にしたほうがいい」という発想の元に生まれるものだ。

いじめられるほうが悪いという意見。

  • ルールを守らない。
  • 人に対して嫌なことをする。
  • 嘘を平気でつく。
  • 風呂に入らず、臭い匂いを放つ。
  • 気を使って喋らず悪口ばかりを言う

傷つくことをいろんな人に行っていると考えてほしい。

周りの人は我慢しながら付き合うことになるし、距離をおいた正しい付き合い方だと考えられる。

無意識に嫌なことをしているんだから、周りからも雑に扱われても仕方ないということになる。

だから、子供達はいじめられても仕方ない という発言になっていく。

学校での問題

問題なのは大人たちのいわゆる「いじめが悪い」というだけの考えを押し付けることだと私は感じている。

いじめる人が悪いというが、いじめられるまで嫌なことをしていることに気づかない人もはっきり言って悪い。

それを「嫌なことをするやつをなんで野放しにするんだという不信感の方が強い」というのが、人間としては普通だと考えていく。

問題なのは、これをそこまで考えずに教員が子どもたちに押し付けてしまうことだ。

いじめは良くないものだと刷り込むだけで、子ども達に「大人は綺麗事しか言わない」と考えられた方がよっぽど大変だということ。

人の付き合い方をもっと教えていく必要がある。

いじめられている人を見ている心の中に、自分も相手から嫌なことをされて我慢している状況であれば、いじめられている子が継続的に「言葉でいじめられようが、それは周りの人間にとっては仕方ないこと」なのである

「君は今までに自分たちに害を与え続けたから、今そうなっているだけだよ」ということ。

いじめの何がいけないかということは、私は「やりすぎる」ということの方が問題だと思っている。そこまでやる必要ないだろう。という線を間違ってはいけない。

それは言葉の暴力でも肉体的な暴力でも同じである。

また、いじめっ子というのは、いじめられっ子を倒すことで、もう一度間違った日の目を浴びようとする。

簡単に言うといじめっ子も、周りの傍観者に利用されているパターンだ。

大人から見れば、いじめっ子が特に悪くて、その周りもまぁまぁ悪いと判断されがちだが、どこに基準を置くかは人間の集団を見る上では非常に大切な考え方だろう。

 

いじめっ子というのはまずは、「体がでかく、何をしでかすかわからない。狂気性がある。」そういった要素を持つ。

特に男性はコミュニケーションが下手だとこのいじめる側になりやすく、女性であればコミュニケーション能力が高い人がいじめをしやすくなる。

いじめられるやつは、「いうことを全く聞かない。おもしろくないやつ。人から好かれていない人が標的にさせられる。他の人から客観的に見ても、自助努力が少ない人」がこれにあたる。

また、いじめの中でも大変なのは、考える力がない集団で起こるイジメである。バカだと話が通じない。どこの世界でも腕っ節は強くて、話が通用する人が業界内では大事になってくるが、考える頭がなくて、むやみやたらに誰でも攻撃しうる人間というのは問題として扱うべきだ。

 

そして、学校では教員がいじめを全部防ぐというのは難しい。

なぜなら「集団としての圧力があるからこそ、秩序が保たれる」からだ。

しかし、現在の教育現場は全員を平等に見て、優劣をなくすことで平和だとのんきにいっている。

生徒同士で弱いものだけを守っているとしたら、それは「何もしない人を良し」としようということになり、一生懸命している人からすると、何もしない人に対しての不満がでかくなる。

 

結局できるやつに何でも回ってきて、できないやつには何もさせないで、楽しくやらせておけば良いという体勢が成り立つ。

 

捉え方によっては先生まで弱い子をいじめたと認識されることもある。

教員としても、「個々の生徒の良さを認めた上で、最低限頑張らなければいけないことがある」のに、それをやらずしてのうのうと生きてもらいる方が、その子の今後の人生を狂わせることになる。

最近は特別支援などの考えも普及しているので、「なんでもよし」とする傾向があるが、果たしてそれが正しいのかどうかはよく考えた方がいい。

 

いじめ自体はそもそも無くなってはいかない。

それは何かの序列がある場合はなくなっていく。

誰かが一つのことに対して、凄い優秀だとすれば一目置く存在になっていき、なにかしら守られるようになる。

裏には努力をして、周りの人間がどう頑張っているかなどの感情を推し量れる力もついていくからになる。

しかし、それが形成されていない状況で、1年間同じ部屋にぶち込まれていたら、いいところや悪いところを見えてくるので、嫌なところを共有する人が出てくれば、避けるための自己防衛する方が当然といえば当然の結果になってくる

大人だって権力などを使って裏で動いているのが事実であって、一緒にいる時間が多くなると同じようなことが起こってくるだろう。

世の中のいじめに対しての風潮も説明不足が多いと考えられるし、責任の所在を曖昧にしようとする考えだ。

「いじめられているのは被害者だ」と言って守れば、役人には責任が来なくなる。あとは「学校の対応でなんとかしろ」という姿勢は、未来の社会(社会の基盤の人)を弱体化させるに決まっている。

このアホみたいな論争に巻き込まれる前に子どもには、人付き合いの大切さを解いておく必要がある

 

SNSの発展に伴って

SNSの普及によって、「変わった人」の助け合える場所として、違う方法も考えられる。

これは少し特殊で精神年齢が高く、興味関心が確立している場合にできることであるが、外部の人とも接触できる機会を増やしてあげることも大切だろう。

いじめの問題はクラスという閉鎖された所にしか居場所がなくなる。いじめから逃げることができない」と考えことができる。

今は学校に行かなくても世界中の人とSNSで繋がることができる。

ネットがなかった時代は学校に行ってコミュニケーションだったり、勉強したりすることが必要だったけど、そうしたことがオンライン上でできてしまう。

学校で同世代で固まるよりも、いろんな世代と交流を持った方が解決になると言うのもひとつの考え方だろう。

 

まとめ

今回は不良の形成とダメなやつはいじめられるのは子どもだろうと大人だろうと変わらない事実ということを厳しく批評してみました。

その他にも逃げる道はオンラインという方法もあることを示唆した上で、代替案を作りやすいようにしてみました。

いじめも内容は奥が深く、原因と対策や考え方などは多種多様にわたっていると思います。

難しい内容を書いてしまい、理解するのが難しいと思います。(もちろん私の説明不足もあります)

最後までお読み頂きありがとうございました。。

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