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エッセイ

”不妊”の渦中に入ると悪いことだけ考えがちです。あせってもしょうがない。

投稿日:2017-07-13 更新日:

現在の状況

今日は妊娠について記事にします。私が今向き合っていることと、考えたことにお付き合いください。

 

今現在私には子どもがいない。

いないというよりはどちらかというと,

できない という形である。

自分が結婚してそれなりの家庭を築き、普通に子どもに囲まれてといった生活をできるものだと信じ込んでいた。

 

しかし、いざその準備ができたとなったとしてもなかなか妻が受精をしない。

今その渦中にいる人にとっては大きな悩みに種になるのかもしれないが、そのうちできるだろうと安易に考えている。

 

問題を自分の中でどのように処理するかは、自分の思考に寄りけりな部分は人生に大いにあると思っている。

 

そして、少し世の中って不公平で偶然がいっぱい重なって上手くいかないこともあったり、上手くいきすぎることもあるなとまた考えさせられる。

教育ではもっと詳しくライフプランや妊娠の話をしてほしかった

親は高校生まで妊娠させるなといった教育を私にしてきた。

当然学校教育でも、中絶などの話がとりだたされる中、私の中で若い内に結婚や妊娠はリスクを伴っていると漫然と考えていた。

  • 責任をとるには稼ぎがないといけない。
  • その人と一生寄り添っていくことができるかなどが観点に挙げられていた。
  • 中絶はいけないことだから。命を殺すことだから。

 

そんな形で命を大事にしていないと言うことと、子どもを父親と母親で育てていくべきものだと思っていた。

 

そして、私もその教えを守り、今ここまでたどり着いた地点である。

  • 子どもがいたら生活が楽しくなりそう。
  • 子どもがいるからこそ幸せになれる。

そう考えている。

 

生物学的に言えば生殖ということをやっているに過ぎないのかもしれないが、私たちはそれを幸せと感じるようにできているのだと、結婚を終えて時間が過ぎると思うようになる。

 

特に今までの経験の中で、

ある女性の方が次のように語っていたのも今の私には興味深い。

私はその当時、仕事が楽しくて人生が楽しかったので、子どもに必要性を感じていなかったが今思うとそれは間違った選択だった。

私は犬を今飼っているが、やはり親近感が湧くと家族のように扱っても良いのではないかと思う。愛着だからなのか。「同じ種ではないので、家族と同様に扱うな」という意見があるのもごもっともなのだと思うのだが、今のわんちゃんが来てからというもの、私の家族に笑顔が増えたのは言うまでもない。やはり二人だけではない。複数で生活するのは一種の幸せを感じられる瞬間なのだと思う。

周りの友人も子どもを産みだしている。

周りが産んでいるからということではなないのだが、自分の身近な環境でそういったことを考えやすい状況が出来上がっている。もちろん父親になったら父親の会話になっていくのもわかる。

そういった時に若くして、通称「できちゃった結婚」をした友人がいた。

その友人が言っていたのはその親ができちゃった結婚で、その友人になんと声をかけたのかというお話だった。

 

その友人も最初は自分が高校生で赤ちゃんを望まない形で妊娠させてしまったので、中絶を考えていたそうだ。

もちろん養える経済力もないので、中絶というのもひとつの選択肢だろう。

自分もその状況に陥ったら「社会から植え付けられた若いからダメだ」という考えに浸食され、中絶を選ぶかもしれない。

しかし、そこで友人の父親が言ったのは次のようなことだった。

 

俺はおまえを産むまでに相当苦労しているし、なかなかできなかったんだ。

だから、例え理由がどうであれ一生懸命育てなさい。

ということである。

 

私は友人の父親とも野球を通して話していたことがあるが、彼のそういった苦悩を小学生時代には全く知るよしもなかった。

 

しかし今、自分が子どもを作って良い状況におかれながら、すぐにできていないという状況が人生において辛いと言われることなのだと実感している。

職場にも子どもがいない人がいるが

私の職場にも50歳過ぎの男性がいて、その人は子どもを作っていなかった。

私が若かった頃、まだ結婚する前の話だが

その人を見ていて、結婚でも遅れたのだろうか?それともそういう選択をしたのかな?という程度の認識でしかなかった。

そこで、たまたま違う人から聞いたのだがその人は子どもを望んでいたのだが、どうやら男性の生殖能力がないと診断されたらしい。

精子が機能していなかったとのこと…。

若いときの私はあまり好きではなかったその男性に対して、

少し悪気をこめた、まぁそんなこともあるかという程度に抑えていた。

 

そして今

自分がある程度経済力を持ち、社会人としても、ある程度の役割がこなせるようになってきた。

結婚も世間が言う正しい順番で行ってきた。

しかし、妊娠に至っていない。

 

自分が赤ちゃんを作ってはいけないという時の方が慎重になっていたし、今は赤ちゃんを産むために行為に行うため、避妊をする必要もなく、赤ちゃんを作る事ができるのに、思った通りにいかない。

 

望んだことをしたにもかかわず、一ヶ月後には生理が来てしまう。

「本人が思ってもいなかったときに赤ちゃんができたときが、そのときに本当に必要なときだったんだ。」と後から理由を付けることは簡単なのだが、今自分がその状況に置かれていると、頭の中によぎることは“不妊”という言葉である。

 

まさか自分が不妊治療を受ける側になるなんて…

「一年間でできなければ病院で確認した方が良い」といわれたことがあるのだが、そろそろ一年が経ちそうである。

 

妻にプレッシャーを与えたいわけでないし、確率論的な考えだと私は思っているので、少し産むために時間がかかっている。

こういった時間が、不妊で悩む人が多いことや、子どもがいたら幸せなことに、私は一年を通して気付かされたのである。

2人で子どもがいたら…の話しをするときも、なんとも言えない空気が流れることを感じてしまう。

前向きな夫婦なので悪い方向に深くは考えていないが、もしも「赤ちゃんを切望している夫婦でできない」という状況におかれたら悲しみは深いのではないかと思う。

 

自分の中で養子をもらって…という話を再現VTRをよく見ていたが、自分がそういった選択をとらなければいけないということも少なからず、あり得ることもあるのだということ考えると、不用意に子どものことを聞くのは人を傷つけることもあるのだと気付くことができた。

コウノトリ

よく赤ちゃんはコウノトリが運んでくる。などと、おとぎ話のように語られていることがある。

自分にとっては子どもがそういう生の描写を避けるような配慮でされていると思っていたが、そういうのももちろん含まれるが、幸せを運んでくれたんだと比喩で伝えるのは確かに上手い例えだと実感してきた。

やっとのことで…と思えるような出産を通せば愛情は格段に上がるのだろうと思う。

試練

今のできそうでできないという状況でできてくれれば、私にとっては一番良い結果になる。

簡単に赤ちゃんができてしまっては愛情がわかないかもしれない。

ここまで子どもを産むことに対して考えることができなかったからだ。

苦労をして子どもを産むことができたとするならば、新しい命の子も、こんな良い生まれ方はない。

私たちが望んだ形として生まれてくるならば、その想いはきっと子どもにも伝わるのだから。

まとめ

今回は自分が不妊の対象になりかけていることを感じつつ、子どもは宝という一種の側面を見ながら未来の展望と過去の記憶をたどりながら文章を綴ってみた。

考えの足跡が一本線でわかりやすいかはわからないが、複雑な思いを持っていることが伝わって頂けたらと思う。

世の中色んな悩みがあるんだなぁと思って頂ければ幸いだ。

子どもについてはまだまだ先かもしれない。

それはわからないが、こういった人生を受け入れながら楽しんでいこうと思う。

もし悩んでるかたがいらっしゃったら、否定的に考えず、前向きに考えてほしいと思う。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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