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怒り 教育

生徒の生活スキルを上げるためだけの教育困難校で働く教員が、かわいそうで仕方ない。

投稿日:2017-08-28 更新日:

教育困難校の今

東洋経済さんの記事には共感を抱くので今回意見を述べよう。

今回この記事を基に意見を言わせてもらう

 

教育困難校では「風呂の入り方」も教えている 学力以前に生活スキルがない生徒も存在

「教育困難校」には、現在の日本において大きな存在意義がいくつもある。最大の意義は、社会の常識や生活のマナーを教える場ということだ。「教育困難校」の生徒の家庭は、経済的に厳しかったり、家族関係が複雑だったり、非常に不安定な状況にある場合が多い。そのため、普通の家庭環境に育った高校生であれば、幼い頃から家庭生活の中で身に付けている生活のスキルが身に付いていないことがある。

スキルといっても、それはまったく難しいことではない。食べたり、寝たり、体を清潔にするといった、人間として生きるごく基本的なスキルが、彼らには身に付いていない

 

近年、臭い人は多い。(といえば言葉が悪いが、清潔感を全く気にしない人がいるということ)

どちらかというと田舎の方が多いかもしれない。色々な人が居るところはやはり先生からもお話されるのだろう。

頭が皮脂でべっとりとしている。

多くの人を見てきたが普通は頭が痒くなってきたり、自分の体臭がひどいと洗わなければという意識が働くが、そもそも臭いが出てきたところで誰が何を感じ、何の迷惑をかけているかわからないようだ。

洗わない本人も洗ってなくても、気にならない。

そういったことをよく目にする。

生活スキルとしての大衆浴場

日本人であれば、湯船に入る前に体を洗うといった基本的な作法は、親から教わるものだと思うが、それを知らないのだ。まして、大きな浴場に入るときに他人に迷惑をかけないようにする作法は、まったくわからない。

 

体を洗わずに湯船に飛び込んだり、テレビ番組の影響か、全身をバスタオルで包んで入ったりする。そして、彼らの入った後には湯船や浴室が非常に汚れ、あまりのひどさに見かねた教員が湯船に浮かんだごみを掃除するはめになるのだ。

 

上記のような事も親が教えると思ったら大間違いの世の中になってきている。

  • 大衆浴場で騒ぐのは当たり前。
  • タオルを湯船につける
  • 風呂上がりも床をびちゃびちゃに擦る。
  • 休憩所を占領する。

バカが集団になると質が悪い。

周りが迷惑そうにしていると、バカの集団というのは勘違いして俺らの方が偉いといった強気に出てくる。

日頃の学校生活でも、生活の常識を教えなければならない場面はいくらでもある。食器の並べ方、食べ残しの始末の仕方、ごみの分別、場所による掃除のやり方、服装の整え方等々を、教員だけでなく、事務職員、業務主事、外部委託している食堂の従業員、出入りする業者など多くの人々が見るに見かねて教えてくれている。

 

中学生の自己中心思考を高校で直すのは非常に大変だ。

寮生活でもすれば、食器の並べ方や上下での人の敬い方、服装のTPOを教えることができるが、その環境にいないと教えることは難しい。

 

難しいと他人事で言えている内はまだまだ良い状況だろう。

困るのはその修正をしなければいけない職員達です。

特に困る対象というのは、「伝えたことをなに言ってんだ?」という姿勢でくる若者だ。

あれほど厄介なものはない。

そしてそういうやつは感謝の気持ちも持てないことが多い。

こんな事例もある

体育教官室の女性用シャワー室に連れて行き、いつもどのように行っているかを実際にやってもらった。すると、驚くことに、この女子生徒の洗顔は手のひらに水をすくい顔に2、3回かけるだけ、シャワーは全身をお湯で濡らすだけで、せっけんなどでくまなくこすり洗いするということをまったくやっていなかったのだ。

高齢者ならともかく、新陳代謝の激しい思春期の女性では体臭もでるだろう。そこで、その場で彼女への洗顔、体洗い、さらに産毛剃りの指導を行い、その後も学校での練習を数回繰り返すと、彼女は見違えるように清潔になった。彼女に聞くと、家族は母と姉だが、幼少期は記憶にないものの、物心ついた頃から1人でお風呂に入っていたそうだ。節約のため湯船に湯を張らずにシャワーを使っており、誰からも体の洗い方を教えてもらったことはないという。制服も、帰宅したらハンガーにかけるだけで、ブラシを掛けたり、アイロンを掛けたりする手入れ方法はまったく知らなかった。案の定、入学以来、1度もクリーニングに出しておらず、そもそも彼女の家庭では衣服をクリーニングに出す習慣がないというのだ。

家族は彼女の通常ではない外見に気づいていたのか、あるいは家族も同様だったのか。疑問は残る。しかし、高校で顔や体を洗うことを学べて、彼女の将来にとって本当によかったという点には疑問の余地はないだろう。

この例はまだいい方である。

本人に気づける力があるならいい。

保護者からのクレームがなかったのもいい。

 

それにしても保護者の基本的な生活習慣がなっていないと、学校はひどい現場になっていく。

不思議なもので変な人は変な人と結婚する。

なにも考えていない同士が結婚して、子どもを産むと更に厄介だ。

生活習慣を教えることは果たして学校のやるべき事なのか?

それは、家庭教育でなすべき事である。

学校は基本的に世の中の事象や知識を教えたり、基本的な生活習慣ができあがった上での集団での動き方を教える場であってほしい。

教育の範囲が広すぎる。多くの教職員がそう思っていることでしょう。

まとめ

「教育困難校」の現場は、生徒の学力だけでなく、社会で円滑に生きていくための基本的なスキルの習得をフォローする場としても、一定の意義を果たしているのである。

この結論が果たして「学校のするべき事の一線なのか」を考えてほしい。

それは教員じゃなくてもできることだ。

 

そもそもダメな一家というのは社会教育からも省かれていく。

その役割を果たすのが学校なのか?

話しを聞かないような状況を育てた上で基本的な好きを教えるために体罰もダメなのか?

そんなことから教えるのか…?という教員の気持ちにもなってほしい。

やっていられないだろう。

怒鳴ってばかりでうるせーやつだと思われている教員の支えは一体何なんだ。

何かあれば、すぐに教員は叩かれる。

一体どんだけ教員を苦しめるんだ日本社会は。

私は常々そう思う。

教育に力を入れなければ、日本は絶対に墜ちていくだろう。

どうか酷い現場で働いている教員をもう少し取り上げてほしいと思う。

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