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音楽

数々の名曲をありがとう! 作詞家 阿久悠を好きになった話。

投稿日:2017-09-07 更新日:

コンテンツ、目次

作詞家 阿久悠さんがすごい

作詞家についてあまり見ることはなかったのだが、調べれば調べるほど阿久悠さんは偉人だと思います。

数々の名曲があるのでYouTubeで並べておきます。

阿久悠さんの紹介

結核のために身体を動かさなくてもいいことをするようにしたようです。

高校を卒業後、明治大学に入学

もともとは、映画と音楽が好きだったとのこと

大学卒業後、広告代理店「宣弘社」に22歳で就職

「月光仮面」などの放送作家としてアルバイトをしていたようです。

そこで、後に漫画家になった上村一夫さんとの出会いがあったようだ。

上村さんは学生アルバイトで、ギターも得意だったとのこと

ここで二人で歌詞を作って遊んだとのこと。これが最初の作詞活動だったようです。

会社を辞めて放送作家へ

29歳で会社を辞めて放送作家になったそう。

作詞家としても本格始動

ペンネームは悪友からきているとのこと。

大学から物書きはやっていたそうですね。

企画や字が良いことから作詞家への勧めが有り、一日でザモップスの曲の歌詞を書き上げたとのこと。

 

朝まで待てない。が初めてのヒット

その後、スター誕生の企画も阿久悠が全面的に行ったとのこと。

こういった内容は著書「企み」の仕事術の中に記載されているようです。

阿久悠さんの作詞家憲法

調べるとこういったものが出てきました。

阿久悠作詞家憲法

1.美空ひばりによって完成したと思える流行歌の本道と、違う道はないものであろうか。

2.日本人の情念、あるいは精神性は「怨」と「自虐」だけなのだろうか。

3.そろそろ都市型の生活の中での人間関係に目を向けてもいいのではないか。

4.それは同時に歌的世界と歌的人間像との決別を意味することにならないか。

5.個人と個人の実にささやかな出来事を描きながら、同時に社会へのメッセージとすることは不可能か。

6.「女」として描かれている流行歌を「女性」に書きかえられないか。

7.電信の整備、交通の発達、自動車社会、住宅の洋風化、食生活の変化、生活様式の近代化と、情緒はどういう関わりを持つだろうか。

8.人間の表情、しぐさ、習癖は不変であろうか。時代によって全くしなくなったものもあるのではないか。

9.歌手をかたりべの役からドラマの主人公に役変えすることも必要ではないか。

10.それは歌手のアップですべてが表現されるのではなく、歌手もまた大きな空間の中に入れ込む手法で、そこまでのイメージを要求していいのではないか。

11.「どうせ」と「しょせん」を排しても、歌は成立するのではないか。

12.七・五調の他にも、音的快感を感じさせる言葉数があるのではなかろうか。

13.歌にならないものは何もない。たとえば一篇の小説、一本の映画、一回の演説、一周の遊園地、これと同じボリュームを四分間に盛ることも可能ではないか。

14.時代というものは、見えるようで見えない。しかし時代に正対していると、その時代特有のものが何であるか見えるのではなかろうか。

15.歌は時代とのキャッチボール。時代の飢餓感に命中することがヒットではなかろうか。

『生きっぱなしの記』阿久 悠・著から引用

ピンク・レディー UFO (1978)

ピンクレディーでは子どもに火が付いたのがでかかったようです。

最初から完成していたようです。そこで、あえて派手な衣装を着せたのも戦略だったようです。

当時、ある女性作曲家からはもう批判されたようです。

 

ピンク・レディー ペッパー警部 (1976) 2

ザモップス 朝までまてない

依頼した次の朝までに完成させてほしいとの要望があって歌詞を書いたそう。

作曲家、村井邦彦と缶詰で作ったらしい。

村井さんから阿久悠は

絶対に大成功するんだ。夢と希望を持っている人と思われていたようです。

そして、この楽曲は

グループサウンドの定石を排除し、若者の荒々しい生き様を綴った曲となっています。

 

わたしの青い鳥 (1973)

山本リンダ / どうにもとまらない

七・五調の他にも、音的快感を感じさせる言葉数があるのではなかろうか。を証明した音楽です。

この時代はどうにもとまらないと言葉が流れていたようで、世相を表していたようです。

ここまで、あまりヒットから低迷していたらしいです。

この曲で復活したそうです。

学園天国 フィンガー5

森山加代子 白い蝶のサンバ

この曲は最初に作曲ができていたそうです。

そこで早い音楽に、音をはめ込んでいったそうです。

つまり、この曲はラップの先駆けだったようです。

「もしもピアノが弾けたなら」

宇宙戦艦ヤマト ささきいさお

あの鐘を鳴らすのはあなた / 和田アキ子

沢田研二 勝手にしやがれ (1977) 2

沢田研二 時の過ぎ行くままに

 

石川さゆり「津軽海峡・冬景色」

また会う日まで 尾崎紀世彦

ズー・ニー・ブーのひとりの悲しみをリメイクした曲。

この曲には二つの歌詞が存在するのです。

 

リメイクした歌詞はヒットしました。

失恋にしても色々な形があるのではないか?

この時代は男女平等が叫ばれていたようです。

河島英五:時代おくれ

この曲いいです。

 

 

秋元康が語る阿久悠 (前)

ヘッドホンステレオの登場で音楽は変わった。

それまでの歌は町に流れていた。

不特定多数の人が聞いていた。思いがけず音楽を聴いて影響を受けていた。

一人一人が音楽を聴くことによって変わったのは大きい。

それぞれがもっと、それぞれの歌になってしまった。

大ヒットするための、最大公約数がなくなった。

子どもからお年寄りまで知っていると言われるヒットがなくなった。

 

ここは阿久悠さんの言葉です。

人の価値観が変わる中、時代を感じ取って歌詞を書いていく。

歌は不思議な存在だ。

不思議なものでははなくて、存在と表現するのは、歌は時代に存在する。

時代がまず選ぶ、時代が育てる。

 

秋元康が阿久悠さんを認める話

新しいことをやろうとして、やってみるが後で調べるとほとんど阿久悠先生がやっている。

70年代から自分で歌謡曲を考え切り開き、これはこういうものなんだと書き続けた思いと、阿久悠先生やそれをみて育った人の作るものは少し違う。(秋元康世代)

秋元康曰く

売れる曲というのは

セットがイメージできるものは売れる。

阿久悠さんの歌詞は映像的・視覚的にイメージしやすい。とのこと。

 

 

秋元康が語る阿久悠 (後)

昭和の巨星スペシャル 作詞家 阿久悠 心に残る名曲の数々 前編

阿久悠 名曲誕生秘話

昭和の音楽史に残した阿久悠さん

インタビューの話しを少し抜粋します。

こういうデータが出て、こういう好みに世の中なっているから

これを出せば当たるなんて絶対にわからないです。

ただ自分を信じて、今これがおもしろいとこれが見たいなとかこれが聞きたいなとか

そういったものやこれを話し合ってみたいなっていったものをやっぱり自分が信じて出すよりしょうがないです。

歌の持つ意味をこう話しているそうです。

歌は一つの時代を思い出す最初の扉であってほしい

 

補足

幼い頃から阿久悠さんは自分の書いたものが世の中に出られたら良いな。と思っていたそう

そして、ここまでこれたのもの奥さんの支えがあったからこそだったよう。奥さんはあまり取り上げられていませんが、才能を認めてくれたのは奥さんだったようです。

ヘッドフォンが生まれ大衆音楽が衰退したと感じてから、なかなかヒットがでず、「懐かしい名曲」と言われることに違和感を覚えながら、時代おくれという歌詞を作ったみたいです。

また、彼の支えは漫画家上村一夫さんの影響もあったようです。

まとめ

大化けか大コケか挑戦する、タブーに挑戦しようとする姿勢、時代を感じようとする姿勢などは感銘を受けます。

昭和の音楽を作ってくれた阿久悠さんをもう一度見直して頂ければと思います。

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