コンテンツ、目次
- 1 これはひどい!講師に生徒がガチギレ!
- 2 【福岡】授業中の教員を蹴飛ばす博多高等学校のDQN【授業妨害】
- 3 こんなことまでされて教員を志す人っているのか
- 4 今回の教員が蹴られた事件について
- 5 教育家の一言に苛立ちが隠せない
- 6 最近の情報教育とインターネットの危険性をまだまだ理解できていない人が多い
- 7 現在でもそんなことやる必要あるのかと思うことがたくさん出てきています。
- 8 学校現場のカメラの目的はどこにいくのか
- 9 学校現場はなぜ今回の件を大きい事にしないのか
- 10 今回の件は日常に怒っているのは大人も知るべき
- 11 被害届を出すまでにくぐり抜ける関門が多すぎて、結局忙殺される
- 12 学校の調査関係も末端と上層での歯車の合わない具合がひどい
これはひどい!講師に生徒がガチギレ!
【福岡】授業中の教員を蹴飛ばす博多高等学校のDQN【授業妨害】
こんなことまでされて教員を志す人っているのか
以前にも記事を書かせて頂いたが、体罰許容論を私はするべきだと思っている。
意見などだいたい二つに分かれるに決まっている。
この状況を見て、まだ体罰は禁止なんでしょうか?
絶対に攻撃してこない人なら暴力はするでしょう。
やり返されないとわかっているんだから。
今の時代が作った教育は、人を殴る生徒を作ることになっていくんです。
「他人から暴力を受けないから、その子が他人に対して暴力をしない」という考えは私は間違っていると思っている。
多くの人は個人である程度の大人と接していると気付かなくもなってくるでしょうが、個人も集団にあると気が大きくなります。
また、若さ故にその気持ちが大きくなることがあります。
歳をとってくると、評価の基準が変わるので、暴力ですることがマイナスにしかならないことを多くの人が知っているので、周囲の人間も「やめておけ」と静止するのが普通ですが、教室という毎回同じメンバーが同じ空間にいると真面目な人間と不真面目な人間がいた場合に、不真面目な人たちは「真面目な人たちが迷惑をしている」ということが理解できません。
大人をなめている人が多くなってきているという事実の中で、教員はよく頑張っていると思います。
個人対個人の場合、暴力での解決ということはあまり起こりません。
人は体格差で考えるので、暴力をしようとは思わないのが一般的です。
しかし、若くて筋力をつけた人は、「気にくわない」ということで弱そうな人をターゲットにすることもあるでしょう。
私が思っているのは、筋力のない人が「筋力のある話しが通じない相手がきた」ときに、どんな恐怖があるかということです。
殴られるかもしれないという恐怖の中、立ち向かうことは相当勇気がいることです。
しかも、その場限りではないのです。
教員は2日後くらいにまた授業が入っているので、めんどくさい生徒とも顔をつきあわさなくてはなりません。
そういった状態でどういった振る舞いをしなくてはならないかを考えながら講義をしているのです。
知識を教えることですら、大きい声を出して、わかりやすいように板書しながら説明していくことも大変なお仕事です。
さらに不良を相手にしながら活動することもエネルギーの消費が激しいということは想像にたやすいです。
周りにいた生徒も迷惑がっていることは間違いないでしょう。
しかし、こういった状況は腕力のある人に支配されることがあります。
暴力での支配というのは、1回目をつけられたら、最後です。
さらにいうなら、学があれば暴力で解決しないのです。
学のない人が筋力をつけたら終わりです。
気にくわないから殴る。脅す。という基準で動いてしまします。
周りの生徒も煙たがっているから、相手にしたくないというのが人間でしょう。
「自分が標的にされなければ良い」という考えで動きます。
それは人間的で、生命維持の観点でいえば本能的でさえあります。
今回の教員が蹴られた事件について
今回の場合は、その標的が先生に移ったわけです。
ある人(教員)をやり玉に挙げて、自分達は暴力をする人の仲間達です。と笑い声を上げて加勢しているのがわかります。
生徒も目をつけられたくないからという、一種の自分を守るためという行動でしょう。
しかし、考えてほしいのは、この笑い声を上げている人間達が全く学がない人たちだった場合です。
暴力を楽しむ人間になっている可能性もないとは言いきれません。
教育家の一言に苛立ちが隠せない
ある教育家から「この状態の時は、授業を止めてでも全体を怒るのが当然」という発言もありましたが私は反対です。
怒っても理解できるほどの感情や思いやりがない人が、教室に5人ほどいればそれは通用しなくなります。
5人以外のその他大勢は、「めんどくさい人間と適当に歩調でも合わせとくか」といった方が自然的な流れだからです。
つまり、ここでもし怒ったとして、その意図が理解できる人がいたとしても、全体が次からは止めようとはならないはずです。
それくらい「学のない集団というのは質が悪い」と言い切れます
しかも、相手は高校生ですから、「話を理解できないやつは全く理解できません。」
自己責任といった言葉が伝わらず、全てに守られて生きてきた人間は厄介です。
思考力が全くない人もいます。
それが今の教育の産物なのか。考えてないというのか、考える力がないというのか、経験が乏しいというのか、そういう人間が多いのが事実です。
人をいじめることに興奮し、相手の痛みを理解できない集団は、意味のないことに興奮し、「暴力をすると目立つこと」になって快感を得ていくようになります。
暴力で多くのことは解決できません。
しかし、今の世の中暴力が一つの自己表現になっていること。
それから、低学力の人間がどういった行動をすることに繋がるのかは大人が理解していく必要があります。
大人になりきれない大人は多く存在します。
子育てについてはもっと真剣に考えてもらいたいのです。
頑張る人がいるぶん、頑張らない人がいることも自然の摂理としては当然の事ですが、思いやりを持つことは人間としてのベースになるので、しっかりと押さえてほしいと思います。
最近の情報教育とインターネットの危険性をまだまだ理解できていない人が多い
ちなみにですが、今回は拡散されたことにより暴行罪が成り立ち、逮捕することに至りましたが、氷山の一角であることは間違いありません。
また、昨今のYouTubeブームもあり、「皆から注目されることをすることをしたい」という人間も増えていくことが予想されます。
問題なのは、何かが起こるまで映像を撮り続けるといった構図が問題です。
人を怒らせて、煽って怒った人間を問題扱いすることが大いにあります。
現在であれば、「やるなと言われていることをやってみました。」で済んでいます。
これから社会的に「偉い人にイタズラを仕掛けました。」とイタズラの域を超えた行動も出てくることが容易に想像されます。
現在でもそんなことやる必要あるのかと思うことがたくさん出てきています。
今であれば警察をおちょくるのがありました。くじ引き屋さんをおちょくるのもありました。
ついには、学校にまで撮影する問題が出てきています。
今度は医療現場や議会などの問題も出てくるかもしれません。
もはやどこにでもプライバシー侵害が出てきて、それを楽しむ人間が増えてくるでしょう。
学校現場のカメラの目的はどこにいくのか
学校教育現場に話しを戻すと、先生や指導者の体罰といった事で問題視されていましたが、そういった風潮の中、先生達もカメラを持つことになるでしょう。
その先は監視カメラではなく、防犯カメラの役目を果たしていく世の中になっていくことは間違いありません。
日本は豊かな国であると思うのですが、人間の倫理観を壊すような動きになってきているのがわかります。
人を信用できない国になっていくのも近い将来なってくるんではないかと思います。
学校現場はなぜ今回の件を大きい事にしないのか
この教員は更正を促すために被害届を出さないと言っていたらしいです。
あそこまでしておいて、学校内で構成することなどまずあり得ないのでさっさと警察につきだして私は正解だったと思います。
そのため、今回の管理職の動きは正解だったと私は思うのです。
もちろん、あんなに拡散して問題にしなかった管理職であればそれはそれでかなりの問題だと私は思ってしまいます。
今回の件は日常に怒っているのは大人も知るべき
あのような状態になっても被害届は出しにくいのが実際のことは知っておいてほしいのです
被害届を出すためには、まずは生徒指導部をくぐり抜けなくてはなりません。
それから主任という人たち、管理職を通らなければならないのです。
本来、被害届というのは個人が提出するものですが、管理職の今後と生徒指導部の顔というモノがあるのが教育現場の闇になっているのです。
被害届を出すまでにくぐり抜ける関門が多すぎて、結局忙殺される
皆さんも体験したことあると思いますが、電話対応などでたらい回しにされた事ってありませんか?
返金を求めたら、次はこの部署に連絡して下さい。
もう少し時間を下さい。
などと延々時間だけとられて、結局金を返金されるところまで行くまでに気持ちがヘトヘトになることがあります。
同じように学校現場では被害届を出そうとしても、ある部屋に入れられて、年上のおっさん達に話し合いの場をもたされます。
はっきり言ってこれは管理職の方々の自己保身のためだけの話し合いの場です。
ここで問題を起こされたら困ると言ったプライドの問題です。
自分の関係部署で変なことが起きたら嫌だと思うのは人間としては当たり前の感覚です。
しかし、この隠蔽体質が多くの教職員を苦しめているということをもっと多くの人は知るべきです。
問題を明るみに出すことはそういった管理職や隠したい人たちからすれば、問題のある先生扱いされ、陰口をたたかれるのです。
学校の調査関係も末端と上層での歯車の合わない具合がひどい
詳しく詳細を話すと、教育委員会からそういった調査が毎回送られてくるので、いじめや暴力が見つかれば仕事が増えていくことにも繋がります。
そうすると、学校現場でも仕事を増やしたくないので「なかったことにしてしまう」のが多くの学校でおこっています。
そのため、各都道府県の調査で大きな開きがあるのも問題となっています。
こういった今回の拡散されて隠しようがない場合は素直に出てくると思いますが、高校での携帯電話を自由に使って良い風潮と、過激なことを求めていく人たちが増えることにより、また学校はおかしいといった問題がどんどん出てくることになるでしょう。
これからの世の中がどうなっていくか楽しみですね。